2018年06月06日
心の洗濯ツーリング 終 (2)
2018年 6月 3日 (日)
摩尼珠院を参拝し終わり次のお寺へ。
次のお寺は摩尼珠院から国道353号で南へ10km弱の宮之窪という場所。
地図で確認すると大体の場所は分かるけど道は記載されていないので恐らく山手の分かり辛い所か民家の中の入り組んだ道の先なんだろうなぁと予想(^^;)
取り合えず思いがけず少し遠回りしつつ(笑) 宮之窪に到着。
道なりに走っても案の定というかなんというか案内看板らしきものは見つからず
仕方がないので辺りを適当に走り適当な横道に入り第一村人を探しますw
するとすぐに第一村人発見!(笑ってこらえて風にw)
早速聞き込み調査すると「そっち行ってそっち行くと近くにあるから詳しい所は他の人に聞いてください」との事。
大体の場所は分かったので言われたとおりに進んでみる。
摩尼珠院を参拝し終わり次のお寺へ。
次のお寺は摩尼珠院から国道353号で南へ10km弱の宮之窪という場所。
地図で確認すると大体の場所は分かるけど道は記載されていないので恐らく山手の分かり辛い所か民家の中の入り組んだ道の先なんだろうなぁと予想(^^;)
取り合えず思いがけず少し遠回りしつつ(笑) 宮之窪に到着。
道なりに走っても案の定というかなんというか案内看板らしきものは見つからず
仕方がないので辺りを適当に走り適当な横道に入り第一村人を探しますw
するとすぐに第一村人発見!(笑ってこらえて風にw)
早速聞き込み調査すると「そっち行ってそっち行くと近くにあるから詳しい所は他の人に聞いてください」との事。
大体の場所は分かったので言われたとおりに進んでみる。
しかし第二村人は現れず(;^ω^)トホホ
相変わらず案内看板も見当たらなかったのですが適当に走って探し回ってみるとなんとか無事に見つける事が出来ました(^▽^;)フ~
ここは確かに口で説明するのは難しい・・・そんな場所です。
今までで一番見つけ辛いお寺だったかもしれません。
というわけで「ナンバー1見つけ辛いで賞」を進呈~(笑)
第八番札所 鷲尾山 不動院 (真言宗 豊山派)
(わしおざん ふどういん)
ご本尊 千手観世音
御詠歌 「いつとなく 大悲の光 かがやけば ここもうえみぬ わしの尾の寺」
大同二年、空咢上人の開創で、その頃は大木茂り鷲が住んでいたので鷲尾山といい不動仙示現の地であるところから不動院という。
本尊の千手観世音は延文三年に仏師弘円上人の作と伝えられ桂材で彫刻された御丈五尺の尊像である。
昔は堂塔伽藍8棟が建立され上杉謙信公の祈願所として栄えたが天正6年の兵火で伽藍・宝物など一切が焼失した。
本尊の観世音はその時、谷底に投げ落とされ危うく難を逃れた。
昔、栄えた寺の跡は今でも山上の残って往時を偲ばれる。
合掌 (。-`ω-)人
苔の生えた大きな杉の木に囲まれた静かで雰囲気の良いお寺。
こういう雰囲気の場所は大好きです
向かい合わせの6地蔵にはどんな意味・願いが託されて彫られたんでしょうかね?
いや、良いお寺でした(*´ω`*)
これで上越~柏崎周りのお寺は参拝し終わりました。
ここから国道353号~県道25号~国道252号で十日町方面へ走り
道の駅「じょんのびの里 高柳」近くにあるお寺を目指します
国道252号は山の中を通り信号も無い快速道路で超気持ち良かったです♪
そして調子コいて走ってたら道の駅「瀬替えの里 せんだ」まで来ちゃった( ̄▽ ̄;)
「高柳」を大きく通り過ぎ~(笑)
それもそのはず252♪252♪とか考えて走ってたのですが途中の県道12号に入らなきゃいけなかったんですもん(*´▽`*)テヘ
ということで来た道を間抜けにも戻りまして今度はちゃんと県道12号へ。
途中にある県道78号大潟高柳線へ行けば
道なりにお目当てのお寺があるはずなので楽勝♪楽勝♪
この時点で時間はPM15:00。
この調子なら高速使って18:00前には帰宅出来るな!
家帰ったら時間的にまだ明るいからチェーンに油指してバリアスだな!!
と計算しつつ県道12号を南下。
すると「高柳」に到着・・・・・(;´・ω・)?アレッ
どうも通り過ぎたみたい。。。
仕方がないので「高柳」でやってるお風呂屋さんの受付の方に聞くことに(*´▽`*)情報プリ~ズ
すると簡易地図を出してくれて「こう行ってこうです。途中に看板があるので分かると思います。お寺への道はかなり細い道なので気を付けて下さいね」と親切に教えていただきました♪
貰った簡易地図を片手に走ると再び12号。
少し走るとこれかな?みたいなマイナー感のある道を発見したので行ってみる事に。
ただし看板は無い(^▽^;)マァ、大丈夫デショ
進むとどんどんマイナー感が強くなり、どんどんと山の中に入りこんでいく(汗
道もドンドン細くなり、なかなかな勾配(滝汗
本当にここであってる・・・・・・の(;´・ω・)?????
どんどん山の中に入っていくと急に棚田が現れなんだか日本の原風景って感じがしてスゴク綺麗でした
この位置から前を向くと
超素敵で超綺麗で♪
ただ合ってるの?変な所に出るんじゃないだろうな?的な不安で内心はドキドキ(◎_◎;)アセアセ
しばらく進むと・・・・・
行き止まりやないか~~~~いΣ(・ω・ノ)ノ!
いや、景色は綺麗だけども・・・行き止まりやないか~~~い(大事な事なので2回言いましたw)
軽く心が折れながら下山。
下山途中に看板がありそこには『大潟高柳線 降水量〇〇mmの際は通行不可』と。
どうやら走ってる道は間違いではない。
しかしお寺は見つからない。
下山しながらそれらしい場所はないかとキョロキョロしながら下山。
再び12号に戻ってきました。
もしかして地図では分かり辛いけどもう一本先に行った細い道なのかも知れないと思い12号をもう少し252方面に戻ってみると道を発見。
今度こそと思い入ると高柳ガルルスキー場の文字を発見!
地図によると近くにガルルがあるのは知っていたので(゚∀゚)キタコレ!! とちょっとテンションアップw
しかし探せどお寺は見つからず見つけたのは崩れかけた廃校くらいなもの。
ちょっと興味をそそられましたが遊んでるほど心の余裕はなかったのでスルーです。
試しにガルルの駐車場に入ってみると近くの民家に人がいたので聞き込み調査。
するとやはり先ほど走った山道の方を案内してくれました。
そしてここでもやはり「案内看板があります」と。
でも・・・・・なかったんだよな~看板。
とか思いつつ再び大潟高柳線へ。
そして同じ場所を行ったり来たり、行ったり来たり・・・・・・・・。。。
まだ走ってない細い道にも入り込んでは行き止まり、入り込んでは同じ道に戻され。。。
正直泣きたい気持ちでいっぱいです(´;ω;`)
いっぱいです(卒業式っぽく)
もう時間も押してきたし今回は諦めるか?という気持ちが頭をよぎりますが頑張って探し続けました。
すると、とある細い道。
またまた勾配のある細い道です。
奥まで行くと行き止まりでした。。。
しかしなにやら農家しょのトラックが止まってたり、原チャが止まってたり。
よく見ると小さな広場に20~30人の方が集まりブルーシートを引いて宴会をしていました。
すると僕のバイクの音を聞いて皆さんがこちらに振り向く(;・∀・)
その中の一人のおじさんと目が合うとおもむろにオレンジジュースのペットボトルを掲げて飲んでくか?のジャスチャー。
一瞬にして心をわしづかみにされました。
そしてこの人達にすべてを掛けようと思った瞬間でもありました。
バイクを停め、お寺の場所を尋ねると「あぁ、それだったら・・・」と分かりやすく教えていただきました(*'▽')
違う意味で泣きそう(´;ω;`)アリガタヤ~
するとまぁ、一杯飲んでいきなとオレンジジュースをご馳走になると
地元の美味い酒を飲ましてやるよと他のおじさんも立ち上がる。
そしてそこにいる全員からバイクなんだからダメダメ(笑)と総突っ込み(≧▽≦)ハハハ
和やかなあったかムードが僕の胸を暖かく包み込んでくれました。
今にして思えばこのなんとも言えない暖かな気持ちはきっと孫として受けた無償の愛情
そういったものに近いというか同じものを感じたんだと思います。
僕の中にはもう幸せな気持ちでいっぱいでした。
そして教えられたとおりに進むと
第九番札所 円通山 広済寺 (曹洞宗)
(えんつうざん こうさいじ)
ご本尊 如意輪観世音菩薩
御詠歌 「としごとに 雪はふれども 黒姫の 山の端袖の 色はかわらず」
黒姫山の如意輪観世音は、霊験あらたかで機織の熟達を願って子女が盛んに参詣したという。
明治維新の神仏分離の頃、山上の観世音は何者かによって谷底に落とされてしまった。
村人は谷川より漸く観世音を見つけたが破損した部分がなかなか見つからなかった。
そこへ旅の僧が通りかかり破損した部分を次々に見つけると姿が見えなくなってしまった。
人々はその僧を観世音の化身ではないかと語り伝えている。
広済寺は天正年間に佐橋朝広によって開創され本尊は如意輪観音であり、後に別当となった。
合掌 (。-`ω-)人
しんどかった。
1時間以上迷って探し続けた。
文句無しに「ナンバー1見つけ辛いで賞」このお寺。
でもそれ故にあの出会い。
幸せでした。
如意輪観音はその手に持った宝珠で人々の願いを叶えてくれる観音様。
救われたんでしょう、たぶん、きっと。
ただし案内看板はなかった(´・ω・)ショボンw
そして最後のお寺へ。
国道252号~県道49号。
こちらはスグに見つかりました。
第十番札所 白雲山 長徳寺 (曹洞宗)
(はくうんざん ちょうとくじ)
ご本尊 千手観世音菩薩
御詠歌 「枯木にも 花咲くべしと 聞くからに 心ある身の 頼もしきかな」
延暦二十年(八〇一)征夷大将軍坂上田村麻呂の開創で僧延鎮作と伝えられる御丈四尺二寸の千手観音は京都清水寺の観世音と同木と言われている。
田村麻呂は奥州に勢力を持つ高丸という逆賊を退治して帰京する折、この地に休息をし再び出発しようとすると不思議にも観世音は盤石のごとく動かなかった。
田村麻呂はここに一宇を建て観世音を奉安し家来の伊勢ノ平氏、友重等を守り役として残し帰京した。
その名残でこの周辺の地名は伊勢平治、友重となったと伝えられている。
合掌 (。-`ω-)人
見る人が見ればただのお寺かもしれませんが僕はこの時こう言われているように感じました。
「よく来たね。」と。
山門の前に立ち手を合わせてから中へ入ると吸い寄せられるような不思議な感覚。
迎え入れられているんだなと感じる不思議な感覚。
声は無くとも感じる声。
達成感からくるものもあるかも知れません
山中で出会ったあの幸せな時間のせいもあるかも知れません
でも全部ひっくるめて「よく来たね」と。
その言葉にすべて集約されている気がします。
これで33寺全て回り終えました。
満願成就\(^o^)/バンザ~イ
帰りは越後川口ICから高速に乗って帰宅。
家に着くと19:00を過ぎて辺りは暗い。。。
懐中電灯を頼りにバリアスとチェーンに油を指しましたよ(笑)
最後に
高速に乗りながら考えてました。
人が優しい気持ちになる時、その心には仏様が宿る。
それ故に仏心というのだと以前になにかで読みました。
では逆に人に優しくされて嬉しかったとき。
その心も仏心と言ってもいいのではないか?と。
優しくされて嬉しい気持ちは何の裏表も無く、ただただ純粋無垢。
どこまでも穏やかな暖かな気持ち。
それは仏の心に近しいものである様な気がします。
人は他人から感謝された時に喜びを覚えます。
でも実は感謝する事の方が感謝されることよりも幸せな事だなぁとそう今回の旅で気が付きました。
そんな事を考えながら
昼間であったライダーさんや優しくしてくれた人達の事を思い出しながら
幸せな一日でしたと感じずにはいられなかったです。
そして長い文章をここまで読んでくれた皆さんにも感謝です♪
でわでわ♪
所要時間 10時間少し
走行距離 399km
燃費 27,7km
相変わらず案内看板も見当たらなかったのですが適当に走って探し回ってみるとなんとか無事に見つける事が出来ました(^▽^;)フ~
ここは確かに口で説明するのは難しい・・・そんな場所です。
今までで一番見つけ辛いお寺だったかもしれません。
というわけで「ナンバー1見つけ辛いで賞」を進呈~(笑)
第八番札所 鷲尾山 不動院 (真言宗 豊山派)
(わしおざん ふどういん)
ご本尊 千手観世音
御詠歌 「いつとなく 大悲の光 かがやけば ここもうえみぬ わしの尾の寺」
大同二年、空咢上人の開創で、その頃は大木茂り鷲が住んでいたので鷲尾山といい不動仙示現の地であるところから不動院という。
本尊の千手観世音は延文三年に仏師弘円上人の作と伝えられ桂材で彫刻された御丈五尺の尊像である。
昔は堂塔伽藍8棟が建立され上杉謙信公の祈願所として栄えたが天正6年の兵火で伽藍・宝物など一切が焼失した。
本尊の観世音はその時、谷底に投げ落とされ危うく難を逃れた。
昔、栄えた寺の跡は今でも山上の残って往時を偲ばれる。
合掌 (。-`ω-)人
苔の生えた大きな杉の木に囲まれた静かで雰囲気の良いお寺。
こういう雰囲気の場所は大好きです
向かい合わせの6地蔵にはどんな意味・願いが託されて彫られたんでしょうかね?
いや、良いお寺でした(*´ω`*)
これで上越~柏崎周りのお寺は参拝し終わりました。
ここから国道353号~県道25号~国道252号で十日町方面へ走り
道の駅「じょんのびの里 高柳」近くにあるお寺を目指します
国道252号は山の中を通り信号も無い快速道路で超気持ち良かったです♪
そして調子コいて走ってたら道の駅「瀬替えの里 せんだ」まで来ちゃった( ̄▽ ̄;)
「高柳」を大きく通り過ぎ~(笑)
それもそのはず252♪252♪とか考えて走ってたのですが途中の県道12号に入らなきゃいけなかったんですもん(*´▽`*)テヘ
ということで来た道を間抜けにも戻りまして今度はちゃんと県道12号へ。
途中にある県道78号大潟高柳線へ行けば
道なりにお目当てのお寺があるはずなので楽勝♪楽勝♪
この時点で時間はPM15:00。
この調子なら高速使って18:00前には帰宅出来るな!
家帰ったら時間的にまだ明るいからチェーンに油指してバリアスだな!!
と計算しつつ県道12号を南下。
すると「高柳」に到着・・・・・(;´・ω・)?アレッ
どうも通り過ぎたみたい。。。
仕方がないので「高柳」でやってるお風呂屋さんの受付の方に聞くことに(*´▽`*)情報プリ~ズ
すると簡易地図を出してくれて「こう行ってこうです。途中に看板があるので分かると思います。お寺への道はかなり細い道なので気を付けて下さいね」と親切に教えていただきました♪
貰った簡易地図を片手に走ると再び12号。
少し走るとこれかな?みたいなマイナー感のある道を発見したので行ってみる事に。
ただし看板は無い(^▽^;)マァ、大丈夫デショ
進むとどんどんマイナー感が強くなり、どんどんと山の中に入りこんでいく(汗
道もドンドン細くなり、なかなかな勾配(滝汗
本当にここであってる・・・・・・の(;´・ω・)?????
どんどん山の中に入っていくと急に棚田が現れなんだか日本の原風景って感じがしてスゴク綺麗でした
この位置から前を向くと
超素敵で超綺麗で♪
ただ合ってるの?変な所に出るんじゃないだろうな?的な不安で内心はドキドキ(◎_◎;)アセアセ
しばらく進むと・・・・・
行き止まりやないか~~~~いΣ(・ω・ノ)ノ!
いや、景色は綺麗だけども・・・行き止まりやないか~~~い(大事な事なので2回言いましたw)
軽く心が折れながら下山。
下山途中に看板がありそこには『大潟高柳線 降水量〇〇mmの際は通行不可』と。
どうやら走ってる道は間違いではない。
しかしお寺は見つからない。
下山しながらそれらしい場所はないかとキョロキョロしながら下山。
再び12号に戻ってきました。
もしかして地図では分かり辛いけどもう一本先に行った細い道なのかも知れないと思い12号をもう少し252方面に戻ってみると道を発見。
今度こそと思い入ると高柳ガルルスキー場の文字を発見!
地図によると近くにガルルがあるのは知っていたので(゚∀゚)キタコレ!! とちょっとテンションアップw
しかし探せどお寺は見つからず見つけたのは崩れかけた廃校くらいなもの。
ちょっと興味をそそられましたが遊んでるほど心の余裕はなかったのでスルーです。
試しにガルルの駐車場に入ってみると近くの民家に人がいたので聞き込み調査。
するとやはり先ほど走った山道の方を案内してくれました。
そしてここでもやはり「案内看板があります」と。
でも・・・・・なかったんだよな~看板。
とか思いつつ再び大潟高柳線へ。
そして同じ場所を行ったり来たり、行ったり来たり・・・・・・・・。。。
まだ走ってない細い道にも入り込んでは行き止まり、入り込んでは同じ道に戻され。。。
正直泣きたい気持ちでいっぱいです(´;ω;`)
いっぱいです(卒業式っぽく)
もう時間も押してきたし今回は諦めるか?という気持ちが頭をよぎりますが頑張って探し続けました。
すると、とある細い道。
またまた勾配のある細い道です。
奥まで行くと行き止まりでした。。。
しかしなにやら農家しょのトラックが止まってたり、原チャが止まってたり。
よく見ると小さな広場に20~30人の方が集まりブルーシートを引いて宴会をしていました。
すると僕のバイクの音を聞いて皆さんがこちらに振り向く(;・∀・)
その中の一人のおじさんと目が合うとおもむろにオレンジジュースのペットボトルを掲げて飲んでくか?のジャスチャー。
一瞬にして心をわしづかみにされました。
そしてこの人達にすべてを掛けようと思った瞬間でもありました。
バイクを停め、お寺の場所を尋ねると「あぁ、それだったら・・・」と分かりやすく教えていただきました(*'▽')
違う意味で泣きそう(´;ω;`)アリガタヤ~
するとまぁ、一杯飲んでいきなとオレンジジュースをご馳走になると
地元の美味い酒を飲ましてやるよと他のおじさんも立ち上がる。
そしてそこにいる全員からバイクなんだからダメダメ(笑)と総突っ込み(≧▽≦)ハハハ
和やかなあったかムードが僕の胸を暖かく包み込んでくれました。
今にして思えばこのなんとも言えない暖かな気持ちはきっと孫として受けた無償の愛情
そういったものに近いというか同じものを感じたんだと思います。
僕の中にはもう幸せな気持ちでいっぱいでした。
そして教えられたとおりに進むと
第九番札所 円通山 広済寺 (曹洞宗)
(えんつうざん こうさいじ)
ご本尊 如意輪観世音菩薩
御詠歌 「としごとに 雪はふれども 黒姫の 山の端袖の 色はかわらず」
黒姫山の如意輪観世音は、霊験あらたかで機織の熟達を願って子女が盛んに参詣したという。
明治維新の神仏分離の頃、山上の観世音は何者かによって谷底に落とされてしまった。
村人は谷川より漸く観世音を見つけたが破損した部分がなかなか見つからなかった。
そこへ旅の僧が通りかかり破損した部分を次々に見つけると姿が見えなくなってしまった。
人々はその僧を観世音の化身ではないかと語り伝えている。
広済寺は天正年間に佐橋朝広によって開創され本尊は如意輪観音であり、後に別当となった。
合掌 (。-`ω-)人
しんどかった。
1時間以上迷って探し続けた。
文句無しに「ナンバー1見つけ辛いで賞」このお寺。
でもそれ故にあの出会い。
幸せでした。
如意輪観音はその手に持った宝珠で人々の願いを叶えてくれる観音様。
救われたんでしょう、たぶん、きっと。
ただし案内看板はなかった(´・ω・)ショボンw
そして最後のお寺へ。
国道252号~県道49号。
こちらはスグに見つかりました。
第十番札所 白雲山 長徳寺 (曹洞宗)
(はくうんざん ちょうとくじ)
ご本尊 千手観世音菩薩
御詠歌 「枯木にも 花咲くべしと 聞くからに 心ある身の 頼もしきかな」
延暦二十年(八〇一)征夷大将軍坂上田村麻呂の開創で僧延鎮作と伝えられる御丈四尺二寸の千手観音は京都清水寺の観世音と同木と言われている。
田村麻呂は奥州に勢力を持つ高丸という逆賊を退治して帰京する折、この地に休息をし再び出発しようとすると不思議にも観世音は盤石のごとく動かなかった。
田村麻呂はここに一宇を建て観世音を奉安し家来の伊勢ノ平氏、友重等を守り役として残し帰京した。
その名残でこの周辺の地名は伊勢平治、友重となったと伝えられている。
合掌 (。-`ω-)人
見る人が見ればただのお寺かもしれませんが僕はこの時こう言われているように感じました。
「よく来たね。」と。
山門の前に立ち手を合わせてから中へ入ると吸い寄せられるような不思議な感覚。
迎え入れられているんだなと感じる不思議な感覚。
声は無くとも感じる声。
達成感からくるものもあるかも知れません
山中で出会ったあの幸せな時間のせいもあるかも知れません
でも全部ひっくるめて「よく来たね」と。
その言葉にすべて集約されている気がします。
これで33寺全て回り終えました。
満願成就\(^o^)/バンザ~イ
帰りは越後川口ICから高速に乗って帰宅。
家に着くと19:00を過ぎて辺りは暗い。。。
懐中電灯を頼りにバリアスとチェーンに油を指しましたよ(笑)
最後に
高速に乗りながら考えてました。
人が優しい気持ちになる時、その心には仏様が宿る。
それ故に仏心というのだと以前になにかで読みました。
では逆に人に優しくされて嬉しかったとき。
その心も仏心と言ってもいいのではないか?と。
優しくされて嬉しい気持ちは何の裏表も無く、ただただ純粋無垢。
どこまでも穏やかな暖かな気持ち。
それは仏の心に近しいものである様な気がします。
人は他人から感謝された時に喜びを覚えます。
でも実は感謝する事の方が感謝されることよりも幸せな事だなぁとそう今回の旅で気が付きました。
そんな事を考えながら
昼間であったライダーさんや優しくしてくれた人達の事を思い出しながら
幸せな一日でしたと感じずにはいられなかったです。
そして長い文章をここまで読んでくれた皆さんにも感謝です♪
でわでわ♪
所要時間 10時間少し
走行距離 399km
燃費 27,7km
この記事へのコメント
またまた一年間のご無沙汰でしたm(__)m
2017年も色々ありすぎて…
オイラも心の洗濯が必要なのかも…ガンコな油汚れですが(笑)
今年はまたどこかで走れるといいですね!
2017年も色々ありすぎて…
オイラも心の洗濯が必要なのかも…ガンコな油汚れですが(笑)
今年はまたどこかで走れるといいですね!
Posted by イトゥー at 2018年06月09日 08:23
イトゥーさんへ
こんにちは('ω')ノ
御無沙汰しています。
激務の中、踏ん張っておられるようですね。
こちらも週末にスッキリした気持ちが業務開始2日で荒み、昨日あたりは若干キレ気味でした(笑)
気が付けばもう半年過ぎ。
時間を作ってどこか行きましょうね(≧▽≦)
こんにちは('ω')ノ
御無沙汰しています。
激務の中、踏ん張っておられるようですね。
こちらも週末にスッキリした気持ちが業務開始2日で荒み、昨日あたりは若干キレ気味でした(笑)
気が付けばもう半年過ぎ。
時間を作ってどこか行きましょうね(≧▽≦)
Posted by シャムきち at 2018年06月09日 21:58
感謝して、感謝してもらう。
助けて、助けてもらう。
心配して、心配してもらう。
…と、人間社会には沢山の
…して、…してもらう
があって、それを「し合い」
と言い、更にそれを省略すると
「あい」になり
世の中は、あい、で成立して
いるのだと
何かで読んだことがあります。
キリストや、ブッダが
広めたかったのはそこら辺の
基本的なことらしいのですが
膨大な時の流れの中で
色々と尾鰭が付いて、壮大で
わかりにくい経典になって
いったみたいです。
助けて、助けてもらう。
心配して、心配してもらう。
…と、人間社会には沢山の
…して、…してもらう
があって、それを「し合い」
と言い、更にそれを省略すると
「あい」になり
世の中は、あい、で成立して
いるのだと
何かで読んだことがあります。
キリストや、ブッダが
広めたかったのはそこら辺の
基本的なことらしいのですが
膨大な時の流れの中で
色々と尾鰭が付いて、壮大で
わかりにくい経典になって
いったみたいです。
Posted by ななパパ at 2018年06月10日 11:41
ななパパさんへ
こんにちは('ω')ノ
初めて聞きました。
なるほど!
ありがとうございます。
自分の得意分野を差し出し合って社会は構成されていくのが正しい世の中だと個人的に考えていましたがそんな考えにも精通する教えなんですね。
そういえば『けものフレンズ』(一話だけ見た事があります)も哲学的だとなんかのコメントで言ってる人がいました。
「わぁ~、あなたは〇〇が得意なフレンズなんだね」というセリフ。
恐らくコレなんでしょうね。
水曜どうでしょうのディレクター2人も副音声で言ってました。
自分がやってもダメな部分はそれが得意な人間に任せる。
そうした方がうまくいくし、誰も無理をしないでいられる、と。
僕は経典に詳しくはないし中身も良く知らないのですが「宗教」というこの言葉で日本においては損をしていると感じています。
原因は怪しい新興宗教のせいなのでしょうけど、神通力や奇跡といった表現で誇張している(神格化している)尾鰭にも原因の一旦はあると思っています。
仏教の考え方は僕も好きで仏陀は人の心・苦しみに寄り添う事が出来た優しく、優れた哲学者だと思っています。
要は僕が一番言いたいことは・・・・・
宝くじ当たんないかなぁ~って事です(≧▽≦)ニャハハハ
こんにちは('ω')ノ
初めて聞きました。
なるほど!
ありがとうございます。
自分の得意分野を差し出し合って社会は構成されていくのが正しい世の中だと個人的に考えていましたがそんな考えにも精通する教えなんですね。
そういえば『けものフレンズ』(一話だけ見た事があります)も哲学的だとなんかのコメントで言ってる人がいました。
「わぁ~、あなたは〇〇が得意なフレンズなんだね」というセリフ。
恐らくコレなんでしょうね。
水曜どうでしょうのディレクター2人も副音声で言ってました。
自分がやってもダメな部分はそれが得意な人間に任せる。
そうした方がうまくいくし、誰も無理をしないでいられる、と。
僕は経典に詳しくはないし中身も良く知らないのですが「宗教」というこの言葉で日本においては損をしていると感じています。
原因は怪しい新興宗教のせいなのでしょうけど、神通力や奇跡といった表現で誇張している(神格化している)尾鰭にも原因の一旦はあると思っています。
仏教の考え方は僕も好きで仏陀は人の心・苦しみに寄り添う事が出来た優しく、優れた哲学者だと思っています。
要は僕が一番言いたいことは・・・・・
宝くじ当たんないかなぁ~って事です(≧▽≦)ニャハハハ
Posted by シャムきち at 2018年06月10日 14:38